地球物理学者であり、随筆家である。
東京帝国大学や地震研究所、航空研究所、理化学研究所に務めた。
1913年頃、ノーベル賞をもらう一歩手前にまで迫る研究をしていた。
その研究は「X線と結晶」である。
世界の最先端の研究をしていたことになる。
その功績によって、日本の「X線結晶学の元祖」と呼ばれる。
 
「天災は忘れられたる頃来る」 … 警鐘を鳴らし続けた。
「ねぇ君、不思議だと思いませんか」 … 身近な不思議を見逃さなかった。

熊本における夏目漱石との運命的な出会いも素晴らしい。
京都に進学していたら、寺田の人生は全く違っていたかもしれない。

随筆では、最初の妻・夏子との思い出を綴った「団栗」が素晴らしい。
当時も絶賛を博したとのこと。

高知の歴史上の人物では、1に坂本龍馬、2に牧野富太郎が挙げられている。
3番手には寺田寅彦がいるということで2018年夏に銅像を創った。
オーテピア図書館の開館に合わせて2018年7月24日だった。
銅像の台座碑文や説明文を掲載するので眼を通していただけるとありがたい。

寺田寅彦記念館の正門(南門)に牧野富太郎書の文字が刻まれている。
「寺田寅彦先生邸址」と「天災は忘れられたる頃来る」である。
昭和27年の揮毫である。
目立たないけれど、二人は尊敬しあい繋がっていた。
 
今年は関東大震災から100年目に当たる。
博士は大地震を冷静に分析し、被災状況を詳細に調査していたと聞く。
博士の著作等に学び、南海トラフ巨大地震への備えを進めていきたい。
「天災は忘れた頃にやってくる」
ある被災地の首長は「最近の天災は、忘れる間もなくやってくる」とぼやいたという。
南海トラフ巨大地震の発生はもう目前に迫っている。
今からできる身近な備えを1つひとつ実行していきたいものである。

『好きなもの いちご コーヒー 花 美人 懐手して 宇宙見物』

博士が死去した際に、次女の関弥生さんが香典返し用につくった風呂敷。
「父の亡くなった時、これが父のすべてをあらわすように思いましたので風呂敷に染めてお配りしました」
と経緯が述べられています。
原画は博士の水彩画で、高島屋で風呂敷に染めたとのこと。

ローマ字で
『好きなもの いちご コーヒー 花 美人 懐手して 宇宙見物』としたためられている。
「いちご図 ふろしき」と呼ばれている。
1936年(昭和11年) 寅彦没後1年   絹 染色

うえの写真は、県立文学館の1階売店で販売されている複製品です。
「フラフ」の製造を手がける「ハチロー染工場」が製作。
素材は、人気のポリエステルちりめんを採用した由。
2017年度の県立文学館の20周年記念商品ですが、まだ販売されています。